雑記

完璧じゃなくていい。子どもと笑えた、それだけで100点の日

「母親の笑顔がいちばん大事」
育児書やSNSで、よく見かける言葉です。

でも私は、笑えない日がずっと続いたことがありました。
子どもと笑った瞬間なんて、まるでなかった時期もありました。

笑顔を向けたくても、笑える余裕なんてどこにもなかった。
そんな日々を経た今、やっと思えるようになったことがあります。

それは——

完璧じゃなくていい。子どもと笑えた、それだけで100点だっていうこと。

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1. 「母親の笑顔が大事」なのに、できない現実

あの頃は、笑うどころじゃなかった。

「母親の笑顔が子どもの安心になる」
「ママが楽しんでいれば、子どもも幸せ」
そんな言葉が、むしろプレッシャーでした。

だってさ。

やらなきゃいけないことも多いけど、それ以上に——

考えなきゃいけないことが、山ほどあるんです。

このあと何をするか。
どうやって間に合わせるか。
誰の着替えが足りてないか。
今夜のごはんは何にするか。

頭の中は、ずっとスケジュールとタスクで埋まってる。

笑顔になろう、なんて意識すら向けられない。
そんな自分を「母親失格なんじゃないか」って責めた日もありました。

2. 私にとっての“笑える時間”ってなんだろう?

「笑顔が出るときって、どんなときだろう?」って考えてみたとき、
私の場合、それは“何も考えなくていい時間”なんだと思いました。

例えば、夫の実家に行ったとき。
義母がごはんも洗濯も全部やってくれて、私は子どもとただ一緒にいるだけでいい。

そんなとき、不意にこぼれる子どもの言動に、ふっと笑ってる自分がいたりする。

つまり、「家事や育児の段取りを全部、自分で考えなくていい時間」
それが、私にとっての“笑える時間”なんです。

逆に言えば、
たとえ何かをしていない「待ちの時間」でも、頭の中で次の段取りを考えている限り、笑顔ってなかなか出てこない。
よっぽど面白いことがないと、流れていってしまう。

3. いつも「ちゃんとやらなきゃ」が頭にある

子育てしてると、つい「ちゃんと」を求めがちになります。

・ちゃんとご飯をつくらなきゃ
・ちゃんと時間通りに寝かせなきゃ
・ちゃんとイライラせずに接しなきゃ

「ちゃんと」って、家族のことを思えばこそ出てくる気持ちなんですよね。
だけど、その「ちゃんと」が多すぎると、息が詰まってしまう。

私はHSP気質もあって、つい頭の中で「反省会」が始まりがちです(笑)

4. ある日の夕飯は、具なし焼きそばだった

冷蔵庫にあるのは、焼きそばの麺だけ。
野菜も肉もない。ソース味だけの、具なし焼きそば。

「ごめんね、今日これしかないや」って言いながら出したら、
子どもが「わーい、やきそばー!」って満面の笑みで。
それにつられて私も笑ってしまった。

…あ、今、笑ったな。

その瞬間にふと気づいたんです。

完璧な食事じゃなかったけど、ちゃんと笑いあえた。

それって、もしかして“100点の日”だったんじゃないかって。

5. 「子どもと笑えた日」を、100点にしていい

今は、「全部できなくてもいい」と思えるようになってきました。

時間どおりにいかなくても、
子どもにちょっと怒ってしまっても、
夕飯が具なし焼きそばでも——

どこかで子どもと笑いあえたなら、それで100点。
むしろ、その笑顔のために、全部やってるんだと思えるようになりました。

まとめ:今日も笑えなかった…そんな日があってもいい。でも——

笑えない日があるのは、当たり前。
だけど、ほんのひとときでも笑えたら、それはちゃんと育ててる証拠

そして、笑えない時期があったからこそ、
笑える今のありがたみが、ちゃんとわかる気がしています。

だから私は、「子どもと笑えた日」は、胸を張って100点だと思うことにしたんです。

たとえ、「100点だったな」と思いながら布団に入っても、そこから寝落ちするまでに兄弟喧嘩が始まって、結局イライラしたまま寝付く日も、いまだにあります。

それでもいい。

あの笑顔の瞬間があったことは、ちゃんと事実だから。

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