雑記

【やめたこと】「上の子優先」も「きょうだい平等」も、手放したい呪いだった。

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一歳8ヶ月差のきょうだい。始まりは「上の子優先」

わが家のきょうだいは、1歳8ヶ月差。

下の子を妊娠したとき、よく見かけた言葉があります。

「赤ちゃんが生まれたら、上の子を優先してあげてね」

上の子はまだ小さくて、甘えたい気持ちもあるだろう。

赤ちゃんばかりに手をかけてしまったら、寂しい思いをするかもしれない。

上の子は“急にお兄ちゃん・お姉ちゃん”にされる。だからこそ、上の子の気持ちを第一に、という考え方。

当時の私は、「その通りだ」と思いました。

その言葉を信じて、私は「上の子優先」を必死で守ってきました。

とにかく上の子を優先して、泣いても怒っても、まずは抱きしめて、まずは話を聞いて、できる限り我慢させないように…。

「下の子を蔑ろにしている」ような感覚

でもあるとき、ふと思ったんです。

「これって、下の子にはどう映ってるんだろう?」

「なんだか、下の子を“後回し”にしてばかりかも…」

自分でも気づかないうちに、下の子を蔑ろにしているような、そんな感覚がよぎりました。

私が「上の子優先」にこだわりすぎて、下の子の気持ちにちゃんと向き合えていないような気がしたんです。

それからは、「きょうだい平等」に意識を切り替えました。

同じように接して、同じように褒めて、同じように叱って…。

「平等」にも、無理があった

でも、やってみて分かったのは——

きょうだいに“同じように接する”って、めちゃくちゃ大変!

そもそも性格も年齢も違う2人に、同じ対応が合うはずもない。

同じように接したって、同じようには伝わらない。

そんな中、仲の良いママ友(同い年でお泊まりする仲)に、ふとこう言われたんです。

「〇〇ちゃん(私)って、すごく〇〇くん(上の子)に気を遣ってるように見えるよ」

——はっとしました。

あぁ、私って、まだ「上の子優先」の呪いから抜け出せていなかったんだ。

「平等」にも「優先」にも、縛られたくない

私はずっと、「上の子を優先しなきゃ」「きょうだいに平等に接しなきゃ」と、どちらかの“正しさ”に縛られていたように思います。

でも、どちらを意識しても、どこか苦しくなる。

どちらを選んでも、私の中には「できていない」という罪悪感が残ってしまう。

だから今は、こう思うようにしています。

「上の子優先」も「きょうだい平等」も、どちらかにこだわらなくていい。

それぞれの子と、一対一でちゃんと向き合っていこう。

上の子が泣いたら寄り添うし、下の子が拗ねたら話を聞く。今日はこっちに余裕がないから、あっちを優先することもある。でもそれでいい。

毎回完璧になんてできないし、できなくていい。

ただ、できるときに、目の前の子をまっすぐ見る。それだけで十分だと思うんです。

まとめ:手放すことで、少し楽になれた

「上の子を優先しなきゃ」

「平等にしなきゃ」

そんな“育児の正しさ”に縛られて、私は自分をすり減らしていました。

でも今は、「正しさ」よりも「向き合い方」に意識を向けています。

きょうだいを比べず、それぞれに必要な関わり方を探していく。

それが、私の中での“呪いの解き方”なのかもしれません。

あなたももし、育児の「ねばならない」にしんどくなっていたら——

一度、手放してみてもいいのかもしれません。

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