「私が気づかなきゃ」「私がやらなきゃ」。
そんなふうに家の中の“名もなきタスク”を、いつのまにか全部抱えていませんか?
私はそうでした。でも、あるときふと思ったんです。
「これ、ずっと続けるのは無理だな」って。
だから、やめました。
“ママだけが気づいて動く”の、やめました。
見える化はしてない。でも、仕組み化はしてる
タスクを「見える化」するのが良いってよく聞くけど、正直、うちはそこまでしていません。
だって、洗い出すの、面倒だから。
でも、「仕組み化」は常に考えて、試しています。
たとえば、洗濯物。子どもが自分で片づけられるように、引き出しの位置を低くしたり、ラベリングしたり。Tシャツ類はハンガーにかけたまま、子どもたちの手の届く場所に。
夫には「頼まなくても気づいて動いてほしい」と期待せず、「お願いして任せる」に切り替えました。
「言わなくてもわかって」はやめた
ある日、夕飯後に「食器片づけてくれたら助かるのに…」と思いながら何も言わず、モヤモヤしていたら、夫がのんびりスマホを見始めて、イライラ爆発!
でも、冷静になって「私、言ってなかったわ…」と気づいて反省。それ以来、「口に出す」を意識しています。
“察してちゃん”って、ほんと厄介。
自分で言うのもなんだけど、私、察してちゃんでした。
「ここ、気づいてよ」「なんで私ばっかり」って、思ってた。
でも、もし逆の立場だったらどう思うか。
「察してほしい」を察した瞬間、正直やりたくなくなる。
だから、素直にお願いする。
「〇〇やってくれる?」
「〇〇お願いしてもいい?」
たったそれだけで、空気が軽くなった。
最初はちょっと勇気がいるけど、これはもう、訓練だと思ってやるしかない。
人は変えられない。でも、自分が動けば状況は変わる
「夫が動いてくれない」
「子どもが手伝ってくれない」
そう思ったこと、何度もあります。
でも、人を変えるのは無理。
状況を変えたいなら、自分が変わるしかない。
私はそう考えるようになりました。
声かけの仕方を変える。
仕組みを少し工夫する。
ハードルを下げる。
そんな小さな変化を積み重ねることで、家族が「自分のこと」として動けるようになってきたと感じています。
今では、お皿洗いは夫の方が私より上手だし、洗濯物の干し方もそう。
「そんなやり方もあったんだ!」
と、私の方が真似することも。
やってもらう=ラク ではない?
最初は、任せるほうが正直面倒でした。
「え、それ今やるの?」
「あー、順番ちがう!」
「私がやった方が早い…」
でも、我慢。
「任せる=信頼すること」だと思うようにしています。
今では、夫も子どもも、自分のことを自分で考えて動いてくれるようになった。
私は、「全部を気づかなくていいこと」にホッとしてる。
余裕が生まれると、笑顔が戻ってくる
“完璧”をやめたら、“笑顔”が戻ってきた。
ズボラになった?
うん、そうかもしれない(笑)
でも、そのズボラが「余裕」になって、「笑顔」につながっているんです。
家族はチーム。「全部抱えること」が優しさとは限らない
「私が全部やれば、うまくいく」
「私が我慢すればいい」
そんなふうに思ってた頃もありました。
でも今は、「家族はチーム」だと思っています。
「気づいて動く」役割を手放したことで、家族それぞれがチームの一員として、少しずつ自立してきた。
それが、私にとっての大きな変化です。
まとめ:「やめたこと」で、家族のカタチが変わった
- 見える化より、仕組み化
- 「察してちゃん」から「素直にお願い」へ
- 任せる=信頼すること
- ズボラが余裕になり、笑顔が増えた
“正しさ”よりも、“わが家らしさ”を大事に。
これからも【やめたこと】シリーズで、私たち家族の試行錯誤を綴っていきます。
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